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トロント通信96号

Toronto News Letter


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photo Vol.96 29th Jan.2004 ハナダ、故郷の歴史を語る??

誰も待ってはいないと思うけど、お待たせいたしました!
お約束通り、ハナダの故郷、埼玉県川口市の歴史なんかを紹介したいと思います、今日は。

興味のない、というあなた、いいでしょう、読まなくてもいいさ。
他のページでも見ていってよ、それじゃ。

川口市在住のあなた!必見です。(←うそ)



それでは、まずは基本的な事から・・・。
埼玉県は関東にありますね、はい。東京の上です。
川口はその中でも最も東京に近い(と思う。荒川をはさんでいるので)。

2004年1月の統計では総人口は486.411人(うち男248.926人、女237.485人。世帯数は205.790、外国人登録者数は14.679人)ということです。

まあ、数字的な事はハナダはわからないのだけど、川口はかなり人口は多いのではないかな?

特産は鋳物、機械製品、つり竿、植木、花き。
川口出身の有名人は、斎藤雅樹(プロ野球)に蜷川幸雄(演出家)とのことです。

そして、日本一はですね、これがなかなかおもしろい。
まずは安行植木(何が日本一なのかはわからぬが)、ボランティア、これはすばらしいですね。
それから温水プールの数(自慢になるのか?)。
高さが東洋一の川口ジャンクション。
グリーンセンターのミニSLのレールの長さ、989m。
川口駅前の公園、3.1ha。

なんじゃそれ?という感じでもあるが、一応ね。

それからトップのイラストはてっぽうゆり(これでもね、ごめん、絵の下手なハナダが描いたので・・・)、川口市の花であります。





では、簡単に歴史を・・・。

現在、川口市の地域は旧石器時代からの遺跡も数多く発見され、そのころから荒川、芝川等の河川の沿岸を中心に農業が行われていた地域でした。そのような農村から現在の様子となるきっかけは江戸時代にあったんですねー。

江戸時代では現在の川口の中心は『川口宿』と呼ばれ、日光御成街道の宿場町として栄えました!また、現在の川口市の地域には、51の村があったといわれています。

この時代この地域は幕府直轄地とされ、関東郡代の伊奈氏(いなし)の支配下となります。伊奈氏は徳川氏の関東支配の基礎を築くのに大きく貢献し、特に土木工事技術にはすぐれたものがあったと言われています。河川の改修、用水路(見沼代用水等)の建設等数々の実績をあげています。

伊奈氏は、江戸時代の初めに川口市の神根にある赤山に陣屋を置き、支配しますが、18世紀終わりの時期の幕府全体の地方支配機こう見直し(現在の行政改革みたいなもの)の波を受け、改易(とり潰し)となってしまいます・・・。



江戸時代には、川口の伝統産業である鋳物業、織物業、安行の植木がさかんになります。その他釣竿、味噌醸造など製造も活気をおびてきました。その中でも鋳物業は、大消費地「江戸」に近いということで、鍋、釜などの日用品の製造が急激に伸びていきます。特に幕末には軍事産業として兵器製造が行われていました。

明治時代に入り、明治2年の版籍奉還により、大宮県に属し、ついで浦和県となり、明治4年廃藩置県により、埼玉県に属しました。明治7年に『川口宿』から『川口町』となりました。

明治時代には、鋳物工業が飛躍的に伸び、また、安行の植木も生産農家が大きく増えていきます。明治20年代に日本鉄道会社が上野ー前橋間が開業し、明治43年に『川口町駅』が開業します。この鉄道の開通が川口の産業を大きく伸ばすこととなります。



昭和になり、昭和8年4月『川口町』と付近3村と合併して『川口市』が誕生します。当時の人口は、45,573人で現在の川口市の人口の10分の1でした。のち、近隣の町村を合併して、昭和37年現在の川口市の行政区域となりました。

現在に至るまで、南部地域は鋳物や機械などの製造・加工業、中部地域は織物や釣竿の生産、北部地域は植木等の生産などが行われてきました。これらの産業はいずれも大消費地である「東京」を背景に発展してきましたが、近年の急激な都市化とともに、東京のベットタウンとしての性格が強くなっています。

と、実はこれは川口私立西中学校のHPから引用したものです・・・。
だってね、ほんと、これくらいしか見つからなかったのよ、川口の歴史。(詳しくは、というか、ほとんど全文丸写しなのですが・・・ここで。どうぞ)
http://plaza5.mbn.or.jp/~knishi/nishi/tachibana.html





で、ここからはちゃんとハナダが集めた情報をお伝えしましょう。

まず、旧石器時代からの遺跡も多く発見されている、とのことですが、代蕪Iなのは、新郷貝塚。縄文時代後期、縄文式土器や竪穴式住居跡も発掘されたとか。

他には縄文時代前期の小谷場貝塚など。そして、なんと、ハナダの実家にも近い戸塚立山遺跡というのがあったのですね−!これ、しらなかったです・・・。

ここは戸塚城ともいわれていて、成田氏家臣、小宮山禅正介忠考の城。
忠考は岩槻城主、太田資正の家臣だったのだけど、跡目争いで城を追われてしまったという人物。
のちに成田氏の配下についたとか。小田原の役後に廃城となってしまいます。

この戸塚城、なんと弥生時代からの住居跡もあるそうで、今も発掘調査中とのこと。

んー、ハナダが住んでいたところに、むかーし、むかしから人々が生活していたんですねー。ロマンが広がりますねー。



それから伊奈氏について。

初代忠次が徳川家康の入国とともに伊奈陣屋(伊奈町)をかまえ、ここから河川の改修や新田開発がはじまります。

寛永6年(1629)3代忠治のときに赤山領7000石を拝領し、ここに陣屋を移します。この忠治さんが川口市民なら知っているであろう、見沼溜井に取り組んだ人。ご苦労様でした。

寛政4年(1972)12代のときまで関東郡代の役所として使われました。
伊奈家はこの寛政年間に断絶。

微高台地に本丸・二の丸・出丸・城郭のように堀や土塁で防御されていたとか。
現在は本丸を囲む堀の一部が見れるようになっている。一部は公園。

そんなところですね。



他にはお寺。

西福寺が有名。
弘仁年間(810から824)弘法大師が国家鎮護のために創建したと伝えられている、古くも由緒あるお寺なのだ!

ここで有名なのは、県下で最も高い木族建築物(23m)である三重塔。
鉄製の釘は一本も使われていないんだとか。

三代将軍徳川家光も長女千代姫(かわいい名前!)さんが施主となって、元ろく6年に建立。
この千代姫さんの位牌が塔内に収められている(彼女は元ろく11年に亡くなりました)。

また、観音堂には、ここに参詣すれば百個所の霊場を巡礼したことになると説かれ、堂内には千代姫寄進の金箔押しの百体観音像があるとか。

もう一つのお寺は、長徳寺。
1590年、家康より寺領40石を安堵されてから、代々の徳川将軍家の保護をうけたお寺であります。



それから、川口では安行の植木が有名だけれども、(ハナダの実家からも近い。よくうちらもその辺のでっかい店にいったもんだよ)

この安行植木開発の祖と言われているのが、吉田権之丞さんと言う人。
あまり詳しい事はわかってないらしいけど、若い時から草花や盆栽を趣味として、珍しい草木を集めては栽培、そしたら地質・風土に適し、その生育がよかったので、じゃあ、もうちょっとやってみようかな?ってことで開発を始めたとか。これが承応年間(1652〜55)のころといわれている。

で、たまたまこの草木や切り花を江戸に持ち出して販売してみたら、大当たり!運が好かったねえ。

そんな彼のお墓も残っています。元ろく6年(1703)という年号が刻まれているとか。

まあ、そんなところかいね。



もっと最近では、鋳物ですね。
鋳物とは鉄を高熱で溶かし、鋳型に流し込んで作った鉄製品のこと。
マンホールのふたや水道管、べーゴマ、だるまストーブや、なんと東京オリンピックの聖火台も鋳物でつくられたものだったとか。
でも最近は、鋳物の需要は減り、後継者も少なくなって、苦しい状況にあるとか。頑張ってほしいですね。

で、鋳物に関する言葉で、皆さんも聞いた事があるのは、キューポラ、でしょう。

浦山桐郎監督、吉永小百合主演の有名な『キューポラのある街』(1962)という映画があります。もちろん舞台は川口です。
とかいって、ハナダ、これ、見たことないのですが・・・。
(映画についてはこちらを↓)
http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/kyupora.htm

また、このキューポラにちなんで、「キューポラ最中」なんていうのもあるそうです。

“「キューポラのある街」川口のキューポラの煙突をかたどった最中です。香ばしい最中の皮と大納言小豆、こしあん そして白インゲンの風味を、サユリストのあなたに・・・”

サユリストのあなたに・・・ってねえ。でも、ハナダも最中は好きなので(あの皮が上顎にくっついてむかつくところもいいよね)、今度実家に帰った時に食べてみたいですね。

この最中についてはここを・・・。
http://www.saitama-j.or.jp/~murataya/



それから、川口市民なら誰もが知っているであろう、たたら祭りですが・・・。この「たたら」って何か知ってた?
実は、ハナダ、今回調べるまで知らなかったのだけど、これも、鋳物つくりの道具(足踏み送風機)の名前なのだー!

なんか、今までずーっと住んでたくせに、ほんと、何も知らなかったんだなあ、と反省。
でもこうやって調べてよかったよ。




photo ハナダ作「ださいたまと呼ばないで」

と、こんなかんじでしょうか。
どう、まだ起きてるかー??
ごめんね、つまんなくて。

でも川口市民の皆さんにとって、少しはふうん、とおもってもらえたら嬉しいです。

調べて思ったのは、いま、さいたま市となった
(私はこれ、すきじゃないの。さいたま市とかいって、でっかすぎでどこかわかんないじゃん!しかも多分県民はいまでもみんな大宮、とか浦和で通してるはずだし)
大宮や浦和あたりのほうがもっといろんな歴史的建築物なんかも残ってるのよね。

あとは川越も有名だよね。ここはちょっとした観光地でもあるし。
ハナダ、昔行った事はあるはずなんだけど、記憶がない・・・。
近いので今度デイブを連れていってみたいね。



そうそう、歴史の中でも言った岩槻ですが、ハナダの実家からも近く(ハナダんちは川口市だけど、地理的にいうと浦和や越谷の方が近く、個人的にもそっちの方がよく行ったし、親しみがある。川口駅周辺とか、全然わからなかったりする、実は)
何もないのだけども、ここは人形作りで有名って知ってました?
駅周辺にはいくつかの人形屋っていうのか?があって、
場所によっては日本的な工芸品(ちりめんのグッズや千代紙グッズ、昔なつかし紙風船なんかの玩具とう)が売っていたりする。

もちろん、ひな人形とかもだーっと展示してあって、圧倒されるね。
デイブが日本に来た時、ここに連れていったんだよねー。
うちの母が何か日本的なものをデイブの家族に買ってあげたい、ってことでね。



あとはいま、埼玉高速鉄道線ができて、まあ便利にはなったんだけども・・・。
高いよ!運賃。ちょっと行くだけで200円とかだもの。
JRとの接続もあんまりよくないし。
赤羽岩淵駅までどうやって歩いていっていいか、わかんないし。

でもまあこれでJR武蔵野線の混み、少しは緩和されたのかもね。
このせいで、ハナダの住む地域(最寄り駅にはこの鉄道線も通っている)はいきなり人が増えたのよねー。
若い夫婦、まだ赤ちゃんとか幼稚園くらいの子供がいる家庭がわんさ!と引っ越してきたような気がする。

ハナダ家は私が生まれるちょっと前に、東京からこっちに移ってきたので、もう25年はそこにいるのさ。

昔は駅からうちの屋根から突き出ていた看板(工務店ですから。いまはなし)が見えた、っていうんだけどねえ。



今度実家に帰った時どんな風に変わっているのかしら?
まあ、東京、渋谷、新宿とかみたいに数ヶ月で変わるって程ではないけどさ。
でもはなだにとってはやはりここが故郷、カナダから戻ってきても、ほっとするのはやっぱり自分の街の見慣れた風景が見えた時だよね。

あー、なんか実家、恋しくなったなあ。

ってことで、長くなりました。
お疲れ様!


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