木下利玄
| ■『一路』 |
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「牡丹と芥子」 牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ 花びらの匂ひ映りあひくれなゐの牡丹の奥のかゞよひの濃さ この室のしづもりみだるものもなく床の牡丹のほしいまゝに紅き 花になり紅澄める鉢の牡丹しんとしてをり時ゆくまゝに 床の間のをぐらきに置く鉢の牡丹白牡丹花は底びかりせり 花びらをひろげて大き牡丹花に降り出の雨のぢかにぞあたる 牡丹花の大き花びら萼はなれ低木の下の地に移りたる 低き木の大き牡丹花なくなりてその根の土に花びらぞある 「芥子」 のびきれる芥子の太茎たゞ一つのこの真白花を今日ひらきたり 芥子の莟花になり了へ花びらに莟のときの皺のこしゐる 芥子の莟咲きてあらはれし真白の花びらの皺の光りかげりはも |
| ■『銀』 |
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「大島」 伊東より船いまつきて大島の湊にぎはふ夏のあさかぜ 海ぞひのひくき砂山名も知らぬ草の花咲きてあふ人もなし 牛ひきてかへる少女に路とひて島の言葉を又おぼえけり 炭やきの翁の小屋に水こひてなかばはわかぬ物がたりきく 実をつみし少女かへりて夜叉の木の林さびしく日は暮れにけり |
| ■私注 |
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木下利玄(きのした・りげん) [1886−1925] 本名、利玄(としはる)。 岡山県の生まれ。公永の子。 旧足守藩主であった伯父の没後、5歳にして養子となり、子爵・木下家庶O代当主となる。同年、父母と別れて上京し、旧の家老より教育を受ける。学習院初等科をへて中等科三年のとき佐佐木信綱に入門。信綱の教授する東大国文科に入学し、「心の花」「白樺」に加わった。 卒業同年に、周囲の反対をおしきり横尾照子と結婚。三人の子をもうけるが、みな幼いうちに亡くした。「白樺」廃刊後は、「日光」の同人となるも、1925年、三暑纃ホのとき結核のため死去した。利玄の死後、「日光」は急激に発行部数を低下させ、北原白秋の専横を許し廃刊への道を辿る。 歌集に『銀』『紅玉』『一路』など、また同門の五島茂による『木下利玄全歌集』(青空文庫に公開)もある。法諡を天章院殿温良利玄大居士。 代負フ やはらかくをさなきもののおごそかに眼(まなこ)つぶりて我より遠し たふれんたふれんとする波の丈をひた押しにおして来る力はも おくつきは並びたれどもうつし世に相ひ逢はざりし吾子三人 吾子一人焼場に残し夜と云ふにわれ等大人はかへらんとする 「牡丹と芥子」〔ボタントケシ〕 牡丹花は〔ボタンカ〕 咲き定まりて〔サキサダマリテ〕 静かなり 花の占めたる 位置のたしかさ 花びらの 匂い映りあい〔ニオイウツリアイ〕 くれないの 牡丹の奥の かゞよいの濃さ この室の しずもりみだる ものもなく 床の牡丹の ほしいまゝに紅き〔ホシイママニアカキ〕 花になり 紅澄める〔クレナイスメル〕 鉢の牡丹〔ハチノボタン〕 しんとしており 時ゆくまゝに 床の間の おぐらきに置く 鉢の牡丹 白牡丹花ヘ〔ビャクボタンカハ〕 底びかりせり 花びらを ひろげて大き 牡丹花に 降り出の雨の〔フリデノアメノ〕 じかにぞあたる 牡丹花の 大き花びら 萼はなれ〔ガクハナレ〕 低木の下の〔テイボクノモトノ〕 地に移りたる 低き木の 大き牡丹花 なくなりて その根の土に 花びらぞある 「芥子」 のびきれる 芥子の太茎〔フトグキ〕 たゞ一つの この真白花を〔コノマシロバナヲ〕 今日ひらきたり 芥子の莟〔ケシノツボミ〕 花になり了え〔ハナニナリオエ〕 花びらに莟のときの 皺のこしいる〔シワノコシイル〕 芥子の莟 咲きてあらわれし 真白の花びらの 皺の光りかげりわも 「大島」 伊東より〔イトウヨリ〕 船いまつきて 大島の 湊にぎわう〔ミナトニギワウ〕 夏のあさかぜ 海ぞいの ひくき砂山 名も知らぬ 草の花咲きて あう人もなし 牛ひきて かえる少女に 路といて 島の言葉を 又おぼえけり 炭やきの 翁の小屋に〔オキナノコヤ〕 水こいて なかばはわかぬ 物がたりきく 実をつみし 少女かへりて 夜叉の木の〔ヤシャノキノ〕 林さびしく 日は暮れにけり 「牡丹と芥子」・「芥子」 ○『一路』は1924年刊、第三歌集。初出は「白樺」(T12)。当時利玄は鎌倉に住んでいた。 ○牡丹の花は咲ききって安定し、周りも静まり返っている。花がその空間に占めている位置の何たるたしかさよ、の意。牡丹を凝視して例えば花びら等の細やかな描写にむかわず、しかるべき「位置」にしかるべく「咲き定ま」ったと抽象的とも思える歌い方で花の王牡丹の豊麗さをありありとイメージさせてくれる魅力的な作品である。牡丹の生命そのものに直接迫ろうとしている歌とも言える。(伊藤) ○病を得て後の作品だといhことを注意せねばならない。名越の庭にも牡丹が多い。がこの一連の作品にあらはれる牡丹は病室だつた六畳の部屋にさいた牡丹だ。しうねく鋭く、牡丹に凝集してゆく病者の呼吸のまつはりをこの牡丹花から感じられる。立体感を生み、神秘感を生む所以である。(五島) ○おのおの空間の場所を得てじっとしている花を「花の占めたる位置のたしかさ」といったのはまことに驚くべき阜サと言わなくてはならない。(山下) ○「牡丹と芥子」の第三首の「この室のしづもりみだるものもなく床の牡丹のほしいまゝに紅き」や、第五首の「床の間のをぐらきに置く鉢の牡丹白牡丹花は底びかりせり」は床の間に置いてあることを明示しているが、第七首の「牡丹花の大き花びら萼はなれ低木の下の地に移りたる」は、明らかに屋外の牡丹である。この連作の以上のような告ャからも、この牡丹の花は床の間にあるととるべきであろうが、そういうものを超越して、この一首から感得されるのは静的な室内の世界である。(日笠) ○牡丹花£・曹フ花の王とされる観賞用の花、「牡丹」「蘂」「昼間」など頻出する。 ○芥子#秩E紅・紫・紅紫など4枚の花がひらく。その未熟な実が阿片の原料となるが、日本は阿片戦争をうけ厳禁政策をとっており、利玄も阿片の愛用者ではない。与謝野晶子「ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟われも雛罌粟」 ○くれなゐ¢Nやかな赤い色。新続古今和歌集に「春もはやすゑつむ花の紅さきてしらるる岩つつじかな」 ○かがよい≠ォらきらする。 ○ほしいまま=uほしきまま」の音便化、心のまま。 「大島」 ○全歌集によると明治38年発普B利玄、二渚ホ以前ということになる。 ○大島%結椏s伊豆七島のひとつ。源為朝が保元の乱に敗れて流された島としても有名。当時はサービス業も発展しておらず、アンコ(お姉さん)とよばれる頭に荷をおった少女たちがいた。 ○夏のあさかぜ£ゥに吹く風、陸上から海上へとながれてゆく。海洋性気候で大島は温暖である。 ○湊¢蜩に湊は二箇所あるが何れか不明 ○炭やき$dをつくる。 ○砂山∴ノ豆に療養した山田耕平の歌に「かぎりなく潮騒とよむ冬の日の砂山かげを歩みつつ居り」「砂山に夕日かげればしみじみと潮風吹き来海の方より」 ○夜叉の木*骰ウ五倍子(ヤシャブシ)の伊豆の方言。カバノキ科の落葉小高木。高さ5,6メートル。樹皮には緑白色の斑点がある。炭やきにも使われる。 (私注では、現代仮名遣いに改め、〔 〕にて仮名をふり、区毎に空間を挿れた。本文テキストは、青空文庫を用いた。) 青空文庫 http://j-texts.com/sheet/rigen.html 誤りやご意見をお願いします debutyan@infoseek.to |
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