釈 迢空
| ■『現代襤褸集』 |
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日本の恋 日本の亡びる日が 来ても、 娘たちは 花櫛なんかさして 歌つてゐるだらう と言ふ― 予想に、いらゝゝして居た 我われのまへに― につぽんの衰へる日は 来て、 日本のむすめらは 無感覚になり 一様に 寡婦(ゴケ)の喪服の 薄汚れたやうな物から 短い脚を出して すたゝゝ来る― すれ違ひざまに 君を避(ヨ)け損つて 横仆しに投げ出された 自転車の青年―その顔― どつか お痛みになつて― まあ 大変― これ位の労(イタハ)りを予期した顔の 失望 青年の神経は 蝙蝠のやうにうら枯れ 青年の容貌は 穿山甲の如く這ふ 生き難い島の日を 生き戻り 青年の血液は、唯一疋のおほ蜥蜴だ―。 悲しむにも 怒りを以つて表現する―。 そんな青年が―瞬間 憤ることに途惑(トマド)つて、 忘れ果てた 青い愁ひを浮べる― 日本の恋は ほろびるのだ。 恋の亡びた日本なぞ どつかへ行了(イツチマ)へ |
| ■『倭をぐな以後』 |
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遺稿一 みつまたの花は咲きしか。静かなるゆふべに出でゝ 処女らは見よ みつまたの花咲く道を うつゝゝと わが行く山に、夕いたりぬ みつまたの花を見に出よ。みつまたのさびしき花は、山もかなしき みつまたの 重ねし枝に 白じろと炎の立つを見つつ 来たりぬ 我ひとり 寝つゝ思へり。隣国の駿河の山の さやぎゐるべし よき恋をせよ と言ひしが 処女子のなげくを見れば 悲しかるらし 戦ひのやぶれし日より 日の本の大倭(ヤマト)の恋は ほろびたるらし 戦ひに破れしかども 日の本の 恋の盛りを 頼みしものを 戦ひの十年の後に 頼もしき 恋する人の上を 聞かせよ 銀座よりわかれ来にけり。一日よき友なりしかな。はろけき処女 三方に道わかれゆく辻の上に 人をやく火の 炎立て居り 陽炎のたつ日 ひそかに来にし道。わかれか行かむ。月島の橋 青やかに 霞める水の しづかなる夕を見れば、戦ひすぎぬ ひたすらに 霧わきのぼる夜となりぬ。ふけてこぎ来る 水上署の船 霞む日を 我は遊べり。はろゞゝと 知る人はなし。本所深川 怒ることなくてあらむと 鎌倉を一めぐりして 憤りゐる 青年の 憤りなき物語 聞きつゝ 人をいとふ心わく われ今は六十(ムソヂ)を過ぎぬ。大阪に還り老いむ と思ふ心あり いさゝかの酒すら飲まずなりしより とる所なき 老いのくり言 あはれ わが親はらからの過ぎし後、親はらからの しみゝ恋しき 山の風 たそがれ深くおろし来る音は 心にしみて かなしき 追分の停車場出でゝ 宵の雨 ぬかれる道に 雪となり来ぬ 遺稿二 しづかなる日記(ニキ)のおもては、青山に臥し居くらして ゐるが如しも 時の間のいこひの後に、蒼水沫(アヲミナワ)湧き立つ水に 入りうくをとめ わがいへの 族娘(ウカラムスメ)に著せむ衣。皆 青やかにあるを思へり をしへつゝ かくたのしげに聞きてゐるをみな子たちを 見ればたのしき 松数拾本。しづかなる日頃となりにけり。山の家に来て 寝る日の多き 東京を思ひて 寝る。しづかなる昼の日明るし 枯れ原の上 おもしろき日々にあらねば、杖ひきて出づる安けさ 山原の霜 日曜日の山のしづけさ。誰一人居るこゑもなき あたり見まはす 日の光 しづけき時をやむ間なくいきどほろしき山鳩の声 山の道 ほどろの草の照りかへし 懐にして 我は寝ほしき われひとりねつゝ思へり。をとゝしの明日のほどか 死にし人あり めらゝゝ火をふく電車 車より 人を焼きつゝ投げ出したり はるゞゝと 焼け過ぎにけり。草の原のしづけき色もさびしといはむ 遺稿三 人間を深く愛する神ありて もしもの言はゞ、われの如けむ 今の世の 媛 貴人の嫁ぎの日 たゞ寝つゝゐて、聞くは、はかなし よこしぶき 万世橋にふる雪は はるかに過ぎて、明り来るなり 家の外 土に響きて走る音。夜ぶかく聞けば、犬つがふなり 重りて 猫の子どものうつゝなき 寝床を見れば、かなしまれぬる 霜しろき庭に入り来て、土深く くづるゝものゝ音を聞きたり たゞしばし 心しづかに 我はゐむ。睦月ついたち 暮れわたる空 いまははた 老いかゞまりて、誰よりもかれよりも 低き しはぶきをする かくひとり老いかゞまりて、ひとのみな憎む日はやく 到りけるかも 雪しろの はるかに来たる川上を 見つゝおもへり。斉藤茂吉 |
| ■私注 |
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日本の恋 (現代仮名遣い版・〔〕内は私注の読み仮名) 日本〔ヤマト〕の亡びる日が 来ても、 娘たちは 花櫛〔ハナグシ〕なんかさして 歌っているだろう と言う― 予想に、いらゝゝして居た 我われのまえに― にっぽんの衰える〔オトロ〕日は 来て、 日本のむすめらは 無感覚になり 一様に 寡婦(ゴケ)の喪服〔モフク〕の 薄汚れた〔ウスヨゴ−レタ〕ような物から 短い脚を出して すたゝゝ来る― すれ違いざまに 君を避(ヨ)け損って 横仆し〔ヨコブ−シ〕に投げ出された 自転車の青年―その顔― どっか お痛みになって― まあ 大変― これ位の労(イタワ)りを予期した顔の 失望 青年の神経は 蝙蝠〔コウモリ〕のようにうら枯れ 青年の容貌〔ヨウボウ〕は 穿山甲〔センザンコウ〕の如く這う〔ハ−ウ〕 生き難い〔イキガタイ〕島の日を 生き戻り 青年の血液は、唯一疋〔イッピキ〕のおほ蜥蜴〔オホ−トカゲ〕だ―。 悲しむにも 怒りを以って表現する―。 そんな青年が―瞬間 憤る〔イキドオ−ル〕ことに途惑(トマド)って、 忘れ果てた 青い愁い〔ウレイ〕を浮べる― 日本の恋は ほろびるのだ。 恋の亡びた日本なぞ どっかへ行了(イツチマ)へ 釈迢空(シャク チョウクウ、シャクノ チョウウク) [1887−1953] 1887年大阪府に生る。父秀太郎。 「明星」「文庫」に親しみ天王寺中学卒業後は上京して服部躬治に師事。後に根岸短歌会に二度出席し、アララギ同人となる。早くより学問、文学の両道を志し、学問分野では折口信夫(オリクチシノブ)、創作では迢空の僧名を用いた。また「古代」の詩の研究のほかに、『万葉集』『古今和歌集』『金葉和歌集』『詞花和歌集』など国文学者としての視野もひろく、やがて『風雅和歌集』『玉葉和歌集』の京極家の世界観を開闢した。自在に古語を駆使し、現代の詩をつくりあげた。 現在も箱根に氏の山荘が残る。 『現代襤褸集』 ○1955年発表詩集。短歌の叙情性に叙事的性格をくわえ、それを延長させたかたちになっている。微妙な適用の精確さをもち、神秘的詩集である。 |
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