Warning: Failed opening '/home/www/html/ban/imode.php3' for inclusion in /home/www/html/ban/html.php3 on line 214
vol.25
vol.25
ライヴハウスは楽しい。
ライヴハウスは息苦しい。
ライヴハウスは気持ちいい。
ライヴハウスはトイレがくさい。
ライヴハウスは全部ひっくるめて俺たちはライヴハウスが好きだぁー!
汗くさいんだよ。ったく!!
今回はメンバーがライヴハウスの思い出から
実態から魅力まで語りつくします!!
ライブハウスへ行こう!
-ライブハウスの良さは
テツヤ(以下テ) アーティストが近くで見れる。
崎山(以下崎) 空気感がいい。ライブのメンバーとか身近に感じられる。
マサムネ(以下マ) チケットがホールコンサートより安い。
-ライブハウスっていうのは飲むところでライブをする場所のこと?
マ あいまいだね。
テ アイマイミーだね。
マ ライブハウスなのにクラブになったりするしね。
崎 ライブ終わったら飲み屋になったりね。
マ 生演奏するちっちゃい小屋のことじゃないの。
田村(以下田) 俺らが言ってるのはそうだよね。本当の意味はわかんないけど・・・。
マ 俺らにしてみたらリキッドルームとかBLITZとかはライブハウスというにはデカイ印象がある。下北(下北沢)の屋根裏みたいにお客さんの中をステージまでバンドのメンバーが通っていかなきゃっていうのがイイかな。
テ 新宿JAMみたいにお客さんとトイレが一緒とかね。楽屋は入れ替え制とか。
崎 楽屋がないとこもあったね。それはそれで・・・。
マ ライブハウスの良さだか悪さだかわかんないけど、バンドによってはめちゃくちゃお客さん少ないバンドがあって3人とか5人とかのお客さんの前で演奏しなくちゃなんない時、お客さんの雰囲気が妙に照れてたりとか(笑)。俺らはそこまではなかったけどね。
テ 最悪のブッキングはトリをつとめるバンドがプリプリのコピーバンド(笑)。そのお客さんが一番多い。一番盛り上がる。それが一番せつない。
田 対バンの人と仲良くなったり対バンの人に影響うけたりとかするよね。
マ うん。横のつながりが出来るよね。
テ スピッツもそれからいろんなライブハウスに出るようになったもんね。友達の企画に出たりとか。
崎 ホコ天の出方を聞いたりね。
マ ライブ終わった後にそのライブハウスのブッキングマネージャーの人にお説教されたりね(笑)。
テ 怒られたり
田 最初はライブハウスの人がいろんなバンドをブッキングするの。
テ 基本的には「ワンマンでやらしてください」っていっても
田 「何!おまえ」っていわれる。最初は「出してください。」だもんね。
テ それも昼の部。
崎 最初はオーディションでね。
テ 昼の部、俺らけっこうやってきたもんね。
田 屋根裏とラ・ママとJAM。
崎 ちなみに俺らの成人式はライブだった。
テ 屋根裏で昼の部。
マ でもさ、学生のころはお金もってないから飲むっていっても友達のうちに行って飲んだり「村さ来」みたいな居酒屋で飲むって感じだったけど、最近大人になってちょっと洒落たエスニック料理とかお酒の充実した飲み屋とかに行くと昔よくやってたライブハウスのすぐ近くだったりして「こんなん知らなかったなー」て。俺、ライブハウス時代の人間から変わっちゃったのかなーって思うことある、そんな時。
テ ある意味限られてたからね。視野が狭いというより限られてた。
マ お金がなかったしね。あとねノルマ地獄があった。ライブハウスって自分でチケットさばかなくちゃいけなかったから。
田 最初は友達関係に買ってもらってたよね。
マ そのうち熱心に聴きに来てくれる人が出来るとライブハウスまで買いに来てくれたり、当日券で入ってくれる人も増えるんだけど、最初は知らない訳じゃん、誰も。だから友達だね。うちはテツヤが友達多くていっぱい買ってくれたからあまり苦労はなかったね。
テ 最初は友達感覚だったけど、けっこうみんなスピッツのことを聞いて気に入ってくれて買ってくれてたからそのへんは恵まれていたよね。この歳になってクラブとか行って踊ってたのはその時期だと思うんだよね。すんげー踊ってたもん。すんごい助かってた。
マ 俺と田村が前にやってたバンドとかはチケット1枚ぐらいしか売れなかった。1枚ぐらいって・・・ぐらいって言ってんのがすごいよね。一生懸命見栄はって1枚ぐらい!(笑)。
-どこの会場?
マ ラ・ママとか国立のリバプール。
田 ラ・ママはちょっと売れて10枚ぐらいだよ。
マ そうか。リバプールで1枚だったんだ。ケンジくんが買ってくれたんだ。
崎 ノルマまでいかないと自腹でライブハウスにお金を払わなきゃいけないんだよね。
マ そうそう。それでそのイベントを企画した人に「チケット1枚しか売れなくて」って言ったら同情してくれて2000円くらいくれたんだよね。それで帰りにラーメン食って帰った(笑)。ノルマを超えたらそれ以上の何%かは自分らのもうけになるんだよね。
テ そのバックの多さにビックリしたのはロフトだけどね。
マ ライブハウスにおってお金が返ってくるシステムはまちまちだからね。
田 屋根裏でロフトの人数が入れば一番もうかるんだろうね(笑)。
テ そう。で、話かわるけど屋根裏で夏にやると暑いんだよね。
崎 屋根裏とかはね。前のバンドがやったあとにスピッツがやる時、ドラムのセッティングとかで俺だけ先にステージに行くと、熱気でスネアがくもってるの。水滴がついてて。
マ 床もぬるぬるして滑る。まぁそれはお客さんが大入りの時の話だけどね。でもお客さん入んないバンドに対してそんな話をしてると自慢してるように聞こえるね(笑)。
崎 あと、ライブ終わった後、カセットとか次のライブのチケットとか売ったりしたね。
マ 俺らがトリだったりすると、着替える間もなくライブハウスの出口とかでチラシ持って「次もよろしくお願いしまーす」って。
崎 手書きのチラシをコピーしたりしてね。
-思い出のあるライブハウスは?
マ 仙台のCADホールでやったのは、グレートリッチ−ズ、スカンク、ポテトチップスとスピッツっていう、今は俺ら以外のバンドはいなくなっちゃったけど、当時俺は「何て豪華なメンツなんだ。がんばらなきゃ!」って思った記憶がある。
田 はじめてのライブハウスは高円寺のレイジーウェイズでイベントだったじゃん。その後LIVE INNでやらないかって話が来て、バンドブームの最盛期だったから20バンドくらい出てて、俺らの初の大きな舞台って感じだった。
マ そう、すごいバンドがいっぱい出るって思って俺らこの中に入っていいんだと思った。
テ けっこう豪華なメンツだったよね。
マ けど、今思えば今の人でも名前がすぐわかるバンドは”ピーズ”くらいしかいないよね。
テ そこで”つれづれ”との出会いがあったんだよね。そう、吉祥寺のクレッセントでやったのが、トリがコピーバンドだよ。
崎 友達いっぱい連れてきてたね。
田 高校生のプリプリコピーバンド。そん時スピッツはオリジナルでやっててそのしーとそのバンドの女の子にあげたもん。「聴いて下さい」って(笑)。
マ 出たかったけど出る機会がなかったのが曼陀羅とかクアトロかな。
テ クロコダイルとかエッグマンもやってない。
田 芝浦インクスティックでやったライブはうちの社長がはじめて見に来たライブ。
テ あんまりいいライブじゃなかったよね(笑)。
マ インクスティックのお店の人が「こんなにお客さんの少ないインクスティック初めて見た」って言ってた。あと、代々木チョコレートシティでやったね。
田 大葬の礼の時にね。
テ かくれるようにして入ったからね。
マ 帰りに打ち上げやろうとしたけど、どこも店やってなくて困った。
テ 激動の時代を生きてるんだなぁ。
田 けっこう俺らも古くさいバンドになりつつある(笑)。
テ 昭和からやってる。
田 かっこわるいねー(笑)。その頃ライブハウスやってて今だにやってる人達は、ミスチル、フィッシュマンズ、ブームくらいかな。ジュディマリのタクヤはスカンク時代に知り合った。今やってる人たちとはダブってないんだよね。でもさライブハウスって俺らがやってた時より倍くらい増えてるよね。
マ バンドが多いってことかなぁ。
田 でも俺らの後のライブハウスのことはよく知らないもんね。そうそう、今度キーボードで一緒にまわる久慈さんってライブハウス時代ロフトで共演してたの。対バンのバンドのキーボードだったんだってさ。そういうのもあって同じ空気感をもってると盛り上がれるじゃん。そういうのも一因としてあって一緒にやろうって。なかなかノリのいい人だよ。俺ら、ライブハウスでやってたって言うのは自信というかライブハウスでやってたという大きな通行手形を持っているようなものを感じる。
マ そう、オーディションとかで認められないような人でも、地道になんとかやってく方法もあるし、俺らもどっちかっていうとそういうふうにやってきたから自信にもなっております。今バンドやってる人もがんばってください。
|