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vol.32
vol.32

'99年の年末はいろんなところで”日本のロックシーンの歴史”が語られたりしていて、そんな中で当然のようにスピッツは"90年代のバンド"としてあつかわれていました(別にいいんだけど)。
で、スピッツは花も嵐もふみ越えてその"激動の90年代"を無事通過。さらなる次の"00年代(って、こういうひょうきでOK?)"に新たなるチャレンジをするべくすでにスタートを切っています。そんな彼らが結成されたのは'87年。おりしも狂乱のバンドブーム幕開け前夜でした。
てなわけで、今回は結成〜メジャーデビュー当時のゆかりの地を巡りながら彼らのルーツに深く?!迫ります。
いまさらだけどニューミレニアム記念座談会
スピッツの
こ か 制 ス メ
お づ い の ス
田村明浩(以下、田) JAMは俺らが初めて出たライブハウスです。
三輪テツヤ(以下、テ) です。
草野マサムネ(以下、マ) 厳密には違うのかな?
テ いや、ライブハウスは初めてだよ。
田 俺らの中では。
マ ちゃんとデモテープを聴いてもらって出させてもらったライブハウスがJAMが最初で。俺らは田舎もんだったからどうやってライブハウスに出ていいかわかんなくて、バンドやってる友達とか横のつながりもなかったから。JAMに電話かけて、「どうしたらいいんですか?」って言ったら「とりあえずデモテープ聴かせてくれますか。」って言われて。ライブのテープ持っていったんだっけ?
田 デモテープ持って行った。4人で行ったよね。
崎山龍男(以下、崎) 行ったね。
テ 行ったなぁ。
田 事務所のほうの入り口を通ってトントンってドアを叩いて、「すみません。」って届けた記憶がある。今日、そこを通った時、ここをドキドキしながら歩いたんだよなって思い出した。
マ そうそう。でも今日久々に行って、改装してステージも客席も広くなったりしてたけど雰囲気は昔のまんまで嬉しかったですね。
田 楽屋も広くなってたね。
崎 俺らの落書き見つけられなかったね。
マ そう、シールはったりしてたんだけど俺らと一緒のころ出てたバンドのシールとか発見できたものもあっただけにちょっとくやしいね。
田 あそこでそのしーとを録ったんだよね。
マ そのしーとを名刺がわりにいろんな人に聴いてもらえて。
田 いろんな人に出会えて、案外俺達の道が開けたっていうのが多かったから。
マ もちろん、その後ロフトとかもあるけど。今回、ロフト跡地も見たんだよね。
田 やっぱり、不思議な地場というかそういうものを感じたけどね。ああいうとこから音楽が誕生してるのかなとか。テツヤしゃべってないよ(笑)。
テ JAMの前の道も広くなってた。入り口んとこの。あそこに人がたまってたもんね。当時は邪魔だったと思う。
マ 昔は看板にライブハウスとしか書いてなかった気がするけど、今はライブ&DJって書いてあった。
崎 色も違ったね。
マ 時代は変わったって思った(笑)。今度行ったらテツヤ皿回す?
テ うん。本気のね。隠し芸(笑)。
田 当時、ライブが終わって、対バンの人達に「今日はどうしますか?どっか飲みにいきますか?」って聞いて、あのそばの「清龍」ってお店にながれてた。
マ あそこはねぇ、無法地帯と化してた。「清龍」は。毎回みんな大酔っ払いしてたの。俺と田村と崎ちゃんは電車の終電までに帰る良い子だったんだけど、テツヤはその時新宿の近くに住んでたから社交係で残ってた。
マ テツヤの古いアパートが残ってたのがまたまた凄かったね。
テ 前の公園がきれいになってた。でもほとんど変わってない。
田 だれが酒癖の話する?
マ あの時は「清龍」じゃないんだよ。
田 すずめのお宿じゃない?
テ 覚えてない・・・。
崎 王将だよ。当時対バンしてたクラップスってバンドと初めてゆっくり飲むことになって。で、看板までいて、その後文化(文化服装学院)に流れ込んで。喫煙所で飲んでたんだよね。
田 酒買って。金ないしね、その頃。俺とか草野も帰れないから、じゃ朝まで飲もうかって。文化だったら酒さえあればいいってことで。
テ 朝までボコボコにされてた、俺(笑)。ハハハ。
マ 酔っ払ってあばれてたからね。
田 居酒屋の時点で、もうコップとか投げ始めてた。投げて自分の足切ったりしてた。
テ ブルー・・・・。
田 だんだんクラッシャーになって、いろんなもん壊し始めた。で、文化でみんなで飲んでても・・・。
崎 自動販売機を狙ったりガラスのドアを狙ったりで、やばかったんで・・・。
テ しかられた。怒られた。
田 メンバーがちょっとおしおきを。テツヤをメンバーが一人づつ呼び出して・・・。
マ 正気を取り戻してもらおうと思ってビンタしたりいろいろしてたんだけど。
田 投げ飛ばしたり殴ったり。
マ はたから見たらリンチしてたように見えたかも。
全員 (笑)
テ みんなもだいぶ大人になって。
田 いや、その時はたんにテツヤの飲み方に慣れてなくてさ。昔も今も酔い方はあんまり変わってないんだけど。
テ 最悪。
全員 (笑)
田 俺らが扱い方を覚えたというより、あれか、俺らがテツヤが酔っ払ってもタッチしなくなったってことかな。マネージャーにまかせてる。
マ やんわりと逃げている。
テ 精神的にも肉体的にも俺はブルーになってるけど、みんなは酔っ払ってる俺に対しては精神的にも肉体的にも大人になってる。
崎 でさ、話戻るけど、そんとき、明るくなってきてさ、みんなでテツヤをほっといて帰ったんだよね。そして次の日テツヤはリハに来なかった。
マ 今だったらタクシーつかまえて乗せてあげたりとかできたけど、その頃タクシーに乗れるお金とかってないじゃない。どうしようもないんだよね。
田 次の日RSスタジオでリハーサルがあって俺ら3人は来たんだけど、テツヤが2時間待ってもこない。で、そこのスタジオから歩いてテツヤんちまで行ったらテツヤいなかった。「どうしたんだろうねテツヤ。」って言ってた。
テ 中央公園でブランコ乗ってた。ブルーになって。
田 当時テツヤ電話とかなかったから連絡の取りようがなかったんだよ。
マ スピッツが結成時からメジャーデビューくらいまでずっと練習で使ってたスタジオです。
テ RSは早朝パックとかがあって朝6時から12時までで安いの。
マ 他のとこより安かったんだよね。アマバンド諸君!今もたぶん安めだと思うんで、使ってみたらいかがでしょうか?
田 草野んちからは遠かったけど、いろんなことを考えるとちょうど良かったんだよね。今日行って見たら狭かったけど当時は狭く感じなかった。そこは各スタジオに小窓があって外から覗けるのね。そんで人のバンドを覗いてた。
崎 ニューデイズニューズとかリハーサルしてた。
田 「裸でやってるよー。」とか。
崎 前とほとんど変わってなかった。唐チてあるポスターも全然変わってない。
田 俺らがあそこで練習やり始めた時ってさ、あのスタジオも建物が出来たばかりで全部が新品だったけどもうけっこう古くなってたね。
テ でもほとんど変わってないよね。10年以上たったけど。
田 今日行ったときに言ってたけど、草野って遠いとこに住んでてスタジオまで行くのに1時間半かかったらしいのね。でも草野は集合時間の1時間前にしか家を出なかったらしいよ。
マ そこまで遠いってことを認めたくなかった。こだわりっていうか(笑)。
テ それプラス本屋で立ち読みっていう。
崎 3時間の練習のところ2時間半遅刻。
テ 怒ってきた。「本が悪い!」って(笑)。
マ すげぇやなヤツだなぁ。
テ それからマサムネ遅刻伝説がうまれる。
田 遅刻の理由は遠いっていう理由だったからね。
テ 遠いとか眠いとか(笑)。
崎 本が悪いとかね(笑)。
マ 昔、自分が時間にルーズとか笑いながら話してたら、ファンレターとかにさ、「自分はマサムネさんの音楽性は好きなのに遅刻はする人は許せないのでどうしたらいいのでしょうか?」って書いてきた人がいた(笑)。
テ 博多時間。
崎 RSでリハした後に、布美よしって定食屋によく行ってたんだよね。おこづかい制で。
マ ここは夜遅くまでやってて助かります。
田 当時、ライヴハウスっていうかLOFTでやるようになって、ある程度お客さんが増えたんで、ギャラっていうかお金がもらえるようになったのね。それをメンバーで分けないで貯金してたの。スピッツ預金。そこからスタジオ代とか出してたのね。で、当然みんなそんなお金ないからリハーサル終わったらめしでも食ってこうかってことになって、じゃ、ひとり600円だけスピッツ預金から・・・って。
テ オプションで納豆とかプラスして。
マ それは自分で出す。
田 750円だったら150円は自分で出す。
マ そういうかわいい時代を過ごした”布美よし”。
田 会計は俺か草野がやってた。草野はきんちゃく袋もってて。
マ きんちゃく今も持ってるよ。
田 貯金は俺の口座に貯金した。
マ そう。口座つくったんだよね。
田 それが今の俺のメインバンクになってるんだけど(笑)。
全員 (笑)
テ すげぇな、それ。
田 だから暗証番号がそれだけ違うんだよね。バンドの暗証番号にしてたから。ちょうどその頃みんなそれぞれ機材を持ちだしてさ、アンプとか。崎ちゃんドラム買ってテツヤギター買って草野は何を?ってことになって。それで車を・・・。
マ なんかね、お金ちょこちょこ貯めてて。貯めてるっていっても10万円くらいしかなかったんだけど、旅行行こうとなんとなく思ってたんだよね。だけどバンドが本腰入ってきたから車は必要だと思ってさ。軽自動車のワンボックスで40万かな。
田 半分出さなかった?
マ いや、車検代を出してもらった。スピッツ預金から。
田 そう、それぞれ車検代払うとかギターアンプの半分を払うとか、ドラムケース・・・。
崎 そうドラムケースとヘッドセットマイク。
田 それはスピッツ預金から出してる。で、機材も買って車も買ってってことで、車で移動するようになったんだよね。布美よしも車で動くようになってから行き始めた。で、崎ちゃんを送っていくときにそこを通るようになった。
テ まぁ、いいところに定食屋があったんだよね。なんとなく入ったらご飯の量も多いし、味噌汁も・・・。
崎 なみなみあるしね。
マ 店のおじさんもいい感じの人でね。
テ カキフライ定食を主に食べてて、マヨネーズも言わなくても出てきてて。
マ 俺は肉野菜いため定食。野菜が不足するからね。
田 まだ、おこづかい制だっけ?おこづかい制って・・・。二渚ホ超えてたよね(笑)。
マ そこの定食屋でめし食うのが至福の時だったなぁ。
崎 カキフライは食ってると口の中やけどするけどね(笑)。
テ 味噌汁はうまかったね。
マ かいわれ大根かなんかがのってた。
田 味噌汁っていうよりスープみたいだった。
テ 当時ごちそうだったね。
田 車を買ったんならじゃぁって。
マ ホコ天って許可をもらってやるもんだと思ってさ、田村が渋谷警察に電話したの。
田 「許可をとりたいんですけど。」って言ったら、「許可はないです。」って。
マ 「みんな勝手にやってます。」って。
田 じゃ勝手にやってやろうじゃないかって。
テ そして、5月1日のメーデーだっていうの忘れて最初にやったわけだよね。
マ ほら、メーデーって行進するからさ。ホコ天なんだけどバンドどころじゃないんだよ。
テ 失敗した(笑)。
田 ホントは4月29日にやろうと思ったんだけど、雨が降って出来なくてさ。機材とか発電機とか借りてたから2日か3日に返さなくちゃいけなくて、借りたからにはもったいないじゃん。1日メーデーで出来ないかもしれないけどとりあえずやってみようかって。
マ 植え込みのとこで無理やりやったけどね。で、なんか発電機も農作業屋みたいなとこで借りたよ。いろいろ調べて安く借りれるとこを。でね、音楽機材屋で発電機借りるとすごく高いの。で、農作業屋で借りると安かった。
田 3000円くらいだった。どっかの雑誌にも話したことあるけど、一番最初にホコ天やったときにお客さんから崎ちゃん1000円もらってんだよね。
崎 そう。横からずっとおじさんが観ててね。
田 なんかしらないけど崎ちゃんだけもらってんだよ。草野歌ってんのに。崎ちゃんだけ(笑)。
マ でもホコ天で俺ら人気なかったんだよね。
テ 人気なかったね。
マ あの頃はジュンスカが・・・。
田 出なくなって、THE BOOMが・・・。
マ THE BOOMも人気無かったよ。1列しか輪がなかったもん。スピッツはもっと人気なかったんだけど・・・。
田 ホコ天やったのって5回くらいだよね。
マ うん、4,5回かな。
田 すっごい疲れたね。
マ もう機材運びからなにから全部やんなきゃで、しかも軽自動車のワンボックスだからドラムと音響機材が一緒に乗らなくてさ。だから朝早く起きて2往復しなきゃなんないの。相当疲れたね。
田 府中から出発して崎ちゃんちに行ってドラムを積んで。そうだ、その前にアンプを府中の楽器屋に借りに行って。
マ 前の日に発電機借りに行ったよね。そっから崎ちゃんちにドラムを取りに行って降ろして、渋谷の音響関連のレンタル屋でミキサーとか借りて。
崎 その間にドラムセッティングしてたんだよね。
テ その時点でまだ俺は乗れないから(笑)。乗る権利なしよ。免許ももってないしね。現地集合現地解散。
田 ワンボックスだからドラムとか積むと後ろの座席は座れないのね。帰る時は俺と草野と崎ちゃんがいるから、うしろで誰か1人が機材を押さえてたんだよね。
マ その頃まず11:30からやってその後2時くらいからやってそんで4時くらいからもやってって3回くらいやるからそれでももうクタクタなんだよね。それからまた同じ行程を終わった後にやらなくちゃなんなくて。疲れたなぁ、ホコ天は。自分らだけでやってたもんな。
田 うん。俺らがPAとか機材とか返してるとき、ドラムってその場に置きっぱなしでしょ。その頃ドラムケースがなくってダンボールに入れてたのね。そしたら雨が降ってきちゃって、俺らが戻ったらドラムが排水溝のそばに置かれてたらしいのね。崎ちゃんが「濡れちゃうじゃねぇか!」って誰にあたるでもなく怒ってさ。みんな「まぁまぁ早く乗せようよ。」って。すごい記憶にある。
崎 田村のビデオカメラ、借りてきたやつさ。
田 盗まれた。
テ なくなったなくなった。当時はかなり高級品だけどね。
マ まぁ、いろいろありましたね。
田 そこでちょっとスタッフのつらさがわかってるかな。えらそうだね(笑)。でも、あの当時の俺らはすごくね、勢いがあったと思うよ。
マ テープを聴いても勢いだけはすごいよ。ああいう音出したいと思ってももう出ないもん。若さゆえの、10代後半から20代前半っていうのは貴重なヤバイ時期だね。
マ 喫茶店バルコニーはですね、スピッツ、ちゃんとデビューしないかって話がいくつかあったんですよ。でっ、高橋さん(ロードアンドスカイの社長)からも一緒にやらないかって話があって、いろいろこっちから質問したり説明してもらったりというのを、この喫茶店で待ち合わせて。
田 1回だけじゃないんだよね、しょっちゅうあそこで会ってた。一番最初に電話かけたんだよね、ロースカに。そしたらいなくて、何回か電話かけて、「会いませんか。聞きたいことがあるんですけど。」ってすっげぇドキドキしたんだけど。最初4人で会って、その後は、テツヤと崎ちゃんバイトしてたから、学生だった俺と草野2人で。
マ あそこの喫茶店で。
田 最初、高橋さんが一緒にやりたいとは言ってくれたんだけど、「きついこと言うようだけど、楽曲とかはすごくいいけどアレンジとか演奏力はまるでダメだね」って(笑)。
テ 「4人でホントにやってくの?」
マ いろいろそんときは「君達はすばらしい」とかばっかり言う人もいたから、そういう人よりは信用できる人なのかなって思った。当時すべての人に対して疑ってかかってたからね。食い物にされるんじゃないかって思って。
田 ほんとにみんないいことばっかり言ってたから。
マ バンドブームだったからね。バンドをどんどんデビューさせちゃえって。
田 ××が売れたからそのお金を君達にかけるとっていう人もいたよね。他の人達は、っていっても10人くらいしか会わなかったけど、いいところしか言ってくれなかったのね。高橋さんは、長く続けたいし5,6年先にはこんなふうになってたらいいねとか具体的に話してくれたからさ。だんだん信用が出来てきたっていうのも変だけど、この人とならやっていけるなって思いが強まった。
マ どっかで勝手に音楽事務所の人達は芸のうかいみたいなイメージがあって。俺がイメージしてた芸のおうかいっぽいとこも多少あるんだろうけど、すべてにそういうイメージをもってたからね。
田 でもいろいろ悩んでたんだけどね。その当時お世話になってた人がいて、その人とやっていこうかとも思ったし。高橋さんとやっていこうかどうしようかっていうのを阿佐ヶ谷デニーズでけつろんが出ないまま、ずーっと話し合った。どうしようかって。けっこう平行線だったよね。みんながみんな言ってることが正論だったしね。
マ おこづかい制のお金で「なんか飲む?」って言いながら。デビューの前。
田 インディーズ盤の「ヒバリのこころ」が出る前で、1989年の10月くらいからかな。11月くらいに高橋さんと会って、あのあがりのCDを聴かせて、「おっぱいがいいね。」って言ってた。そう、ずっと悩んで90年の4月くらいにけつろんを出したんだよね。そっかもう10年くらい前になるんだね、ちょうど。高橋さんに会って10年なんだ。
マ そうだね。俺ら最初高橋さんと会った歳にだんだん近づいている。
崎 たしかその時高橋さん38くらいだったんだよね。
田 そのころの38くらいの高橋さんの写真と今の高橋さんの写真をファンクラブの会報に載せることはふかのうなのかな(笑)。髪の毛長くなかったよね、その時。
マ あと、俺覚えているのが、「なんか食いたいもんある?」って聞かれて「焼肉」って答えてさ、それですげぇつまんないことなんだけど、そん時に白いジーパンはいててそこにたれがポタッってたれた(笑)。
全員 (爆笑)
マ すごいショックだったのを覚えてる。数少ないファッションアイテムのひとつだったのに。あとね、新高円寺の・・・。
崎 あ〜、覚えてる。ジンギスカン食いに行ったね。
マ そんときすべてがごちそうだったからひとつひとつを明確に覚えてる(笑)。
崎 スペイン料理も食ったね。
テ あと、とさっこ。
マ 土佐料理?かつおのたたきね。
田 高橋さん、よくおごってくれたよね(笑)。
テ 酒飲ましてくれたのも高橋さんだった(笑)。
マ やっぱ食い物で釣れるんだね、人って。
全員 (爆笑)
マ 当時はバンドブームの中からデビューしたバンドっていうのは、まずライブハウスでお客さんを満員にしたら、日本青年館、渋谷公会堂、NHKホールっていう流れがあって。
田 そう。そういうサクセスストーリーっていうのがね。その後武道館っていう。
マ そういうのもイヤだった。人とちょっとでも同じようなとこがあるとイヤだった。若さゆえなんだけどね。今思えば別に同じようなとこをたどっても自分に自信があればよかったんだろうけど、なんとなく変えるのもおもしろいかなってはっそうもあったと思う。で、劇場を借りて・・・。
田 シアターコンサートで。
マ 最初シアターモリエールってとこでやってシアターサンモールやってシアターアプルをやった。シアターモリエールとサンモールは、俺はもう思い出したくもないくらいひどいライヴだった。俺にとってはね。
田 俺も。
テ とりあえず全員下向いてやってたからね。
マ ガチガチに緊張してた。あと、お客さんがライヴハウスから急に劇場になっちゃったからどうしていいかわかんなくてお客さんも緊張してた。
テ バリバリみんな座ってたよね。
マ かたーい感じのライヴになってたの。
テ 座って聴くライヴって評判になってたね。いくらあおっても立ってくれない。
田 当時自分達が聴いてた音楽とかって、ライヴやると客席は熱くステージ上はクールっていうスタイルがけっこうあってさ。たとえばクリエイション系とか4AD系のバンドとかね。そういうのライヴハウスでやればかっこよかったんだけど、なんとなくシアターで下向いて仏頂面でやるのがかっこいいかなと思ってやってたんだけど、どんどんお客さんとのギャップが出始めてきて。
マ そのへんでちょっとづつなんとなくましになってきたかなって自分で思ってたのは、観に来た友達も「ましになったね。」って言ってくれてたシアターアプルかな。でも、その友達に聞いたらシアターアプルは照明がめちゃめちゃ良かったらしいよ。一番照明に助けられた会場だったらしい。
テ 橋本さん(スピッツのライティングデザイナー&オペレーター。デビューから今もずーっとやってもらってます)。
田 ホント照明がいいって、今も言われるけどあの時はほんとに良かった。
テ あんときのアンケートもほとんど「照明がきれいでした」って書いてあった。
マ あの頃辛らつなアンケート多かったよな。「曲がかわいそう。もう観に来たくない。」って。
田 「ベースの人はなんであんなつまらなさそうにベースを弾くんですか?」って(笑)。その頃楽器を担当してくれた森安さん(ロード&スカイの人です)がテツヤの楽器まわりにいて、ライヴ中横を見るとシールドをずらしながらテツヤに「動け!動け!動け!」って言ってんのね。でも、テツヤは動かず下向いてずっと弾いてるの(笑)。
テ 鵜飼いの鵜だよ(笑)。ある意味。
マ ライヴハウスではあそこまで固くなかったのに、なんでああなっちゃったのか自分でもわかんないんだけどね。
田 ライヴハウスで毎月やってたのに、デビュー前は半年くらいライヴやらなかったんだよね。たしか。
マ ライヴハウスの時のファンも離れてたのもある。
田 モリエールは映像残ってないんだよね。でっ、サンモールがあるんだよ。この間その映像を見たんだけど、ひどいひどいと思ってたら、ひどいけど思ったよりは良かった(笑)。
マ やってるときにもう今日のライヴひどいって思いながらやってるから印象的にはもうすっごいひどいライヴに思ってるけど。
田 当時もう、ファーストアルバムとかのレコーディングしてるから楽曲がインディーズの頃からいろんなところで変わっててライヴに対してのアプローチも変わってるんだよね。それ観てて新鮮だった。当時はすごい中途半端とか思ってたけどね。ただ、そこでエクスキューズが・・・。
崎 そう、ライヴ終わった後、打上げの前に高橋さんに怒られた。「あんなライヴしてたらエクスキューズできない。」って。
マ でも、そんとき俺らエクスキューズって言葉の意味がわかんなくて。でもなんかすごい怒られてるんだろうなって(笑)。
崎 失礼な話、高橋さんの話を聞きながら頭の中クエスチョンマークが・・・(笑)。
マ 俺らの学のなさが・・・。
テ エクスキューズ?エクスキューズミー?
田 モリエールの時はたぶん高橋さん我慢してたと思う。サンモール2日目だよね。言われたの。
テ そう、みんなが打上げ来る前にとりあえず先にメンバーだけ店に入って、「昨日も今日も」って言われた。
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番外編>>>
マ俺と田村の出会いの場所です。
俺と田村の学校で、俺が1年だけ行ってた学校が高尾にあった。今は移転しちゃったんだけどね。今日はロケは遠かったんで断念して、写真だけなんですが。田舎から東京出てきてもっと田舎の学校通ってた(笑)。駅からバスに乗って山2つくらい越えて学校が見えるってとこ。
田 寒いんだよ。気温3度くらい違うんだもん。
マ 天気よほうは山梨の天気よほうを見ていかないといけないんだよね。
田 全然違うよね。
マ そこの学校で、俺の福岡の先輩が田村となんか組んで作品をつくることになって、高木くんっていうんだけど、したらなんか「俺と組んだやつがロック好きだっていうから草野と話合うかもよ。」って。それで話してるうちにゲームの方に夢中になっちゃったんだけどね。
田 気持ち悪いよね。会ったその日に「じゃウチに遊びに来ない?」ってさそった。ヤな感じだよね。
マ でも田村んちってそんな感じだったよね。行ったらいつも誰かいて、ペペラ(田村の幼なじみ)がゲームしてたりしてね。俺、堀口君って友達と高尾か八王子かなんかで飲んでて、で、もう帰れないから田村んちでも行くかぁって行ったら田村いなくって無理やり窓こじあけて入った(笑)。
全員 (爆笑)。
田 玄関の窓をこじあけられてた。
マ キッチンのとこだよ。
テ 帰ってきたらいたの?
マ いや、そこで寝てまたキッチンの窓から出て帰った。田村その晩帰ってこなかったんだよ。
田 窓あけっぱなし。
マ いや開いてたんだよね。たしか?
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