-藤枝東高校といえば、サッカーの名門校として有名です。
中山 サッカーが校技だったから、入学すると全員サッカーシューズ買わされたよな。
田村 クラス対抗の球技大会はクラスごとにユニホームつくってすげえ盛り上がってた。それより、2年の時、文化祭でラウドネス(80〜90年代前半に活躍した日本をだいひょうするヘビーメタルバンド)をコピーするオレらのバンドがライブやったの、覚えてる?ちょうど同じ時間帯に、サッカー部が清水東との親善試合やるんで、みんなそっちの応援に持ってかれて、オレらのライブわびしかったよ。
中山 清水東にはオレらと同学年に人気者の武田(修宏=元Jリーガー、現解説者)がいたから、あいつ目当てに応援に来る女子がいっぱいいたもんな。
田村 2年の時にはサッカー部が全国大会で3位になったんだよな。あの頃から中山は派手に目立ってたよ。オレは学校嫌いだったし、地味に生きてたけど。だいたい、1年の時は同じクラスでもほとんど口きいてないもんな。
そういえば、今も正月の初蹴りには行ってんの?
中山 行ってるよ。サッカー部じゃなかった連中も、近くの中学で同じ日に初蹴りやってるって聞いたよ。おまえも行ってるんだろ?サッカー部じゃなくてもサッカー好きが多いんだよな、地元のノリとして。
-お互いが、プロ活動をしていることを知ったのはいつ頃ですか。
中山 スピッツ初めて意識したのは1993年のアルバム『Crispy!』を聴いた時。人づてに田村がベースだって聞いて、ベースを意識して聴くようになったんだよ。おお、あの同じクラスだった田村が弾いてんだな、って感じで。それ以降デビューアルバム『スピッツ』とかよく聴いた。「うめぼしたべた〜い」って、歌ってたよ。
田村 え、オレたちが売れる前から知ってたの?
中山 知ってたよ。スペイン合宿でバスの移動時間にCD聴いてたもん。
「さいのうねえなあ」と思うからがんばれる
田村 いい話だねえ(笑)。中山は90年にヤマハはつどうきに入社して、ヤマハのサッカー部は、Jリーグの最初の10チームからは落選したんだよな。
中山 そう。ただ、チームはJリーグメンバーに漏れたけど、会社側がプロ契約を提示したから、プロとしてヤマハと契約して、これで生きていくって覚悟を決めたんだ。
田村はいつからプロになろうと思ったの?
田村 あんまりプロって感覚ないんだよね、今も。好きな音楽、好きなバンドをやってたまたまお金をもらえてるっていう感じでずっと来てる。
中山 すっげえ幸せなことだよな。オレも好きなサッカーやってみんなが共感してくれて応援してくれて、なおかつお金もらって、おまけに感謝までされちゃうこともある。
きつい練習とか故障で苦しんだりとかあるけれども、それでもありがたい。すごく感謝しなきゃいけないこと。
田村 苦しいけど幸せ・・・。それってかなりまぞだよな。オレも創作の過程で悩んだりとか、アイデアが浮かばなかったりという時はあるけど、それも含めて好きでやってることなんだ。
-何が活動の原動力なのでしょうか。
中山 音楽の場合、生み出すって大変な作業だろう?今までいろいろな曲をつくっているわけだから、またさらにまっさらな状態から新しいものをつくるって、すごいと思う。
田村 音楽って完成形はないんだ。つくった曲やひょうげんしたことに対して、その瞬間は満足したとしても、しばらくするとまた違うことを思ったり、自分が下手くそと思える。そうすると、ああ、もっとうまくできるかも、と思うことでまた前へ進んでいけるんだ。
しゅっぱつ点がすごく高い人とか最初からうまい人だとそういうことはないんだろうけど、スピッツはしゅっぱつ点が低かった。それと、うちのボーカルの草野(マサムネ=ボーカルで、ほとんどの曲の作詞作曲を担当)はすごいさいのうがあるヤツなんだけど、それに対してオレはまだまださいのうねえなあと思ってるから、食らいついていかなきゃならない。その気持ちはいまだにあるから、まだがんばれる。
でも、中山見てても毎年うまくなっていくよね(笑)。
中山 だからさ、オレもしゅっぱつ点が低いんだよ(笑)。オレはのりしろがある男なんだよ。下手でイライラするのはオレも同じだな。もっとうまくなりてえなあという気持ちがあるからここまでやってこられた部分もあると思うんだよ。オレがもっとテクニック的に優れた選手だったら、「もうこれくらいでいいや」ってもっと早い段階で思ってしまったかもしれない。気持ちがそうなっちゃうと、もう上には行けないと思うし、プレーヤーとして持続することも難しい。続けれいられるのは、下手だからだとすると、下手なのも幸せなことかも。今ももっとうまくなりたいし、もっと伸びたいと思ってるよ。
パーフェクトでなく精いっぱいなんだ
-いつ負けず嫌いの性格は培われたのでしょう。
中山 幼稚園の時にはもう負けず嫌いだった。そうじゃなかったらここまでやってこられないって。他人にも自分にも、負けたくないっていう気持ちがないと上に上がっていけない。それってどの世界でも同じじゃない?
田村 オレも負けず嫌いだな。自分に対して「まだできるだろう」って負荷をかけてる部分はあるね。最終到達地点を決めた段階で、もう伸びない。「まだできる」、「まだできる」の繰り返しがあるから伸びていけること。
中山 でも曲が仕上がった時には一度はパーフェクト感があるんだろう?
田村 その瞬間はパーフェクトなんじゃなくて、現実問題としてそれが精いっぱいということでしかないんだ。それがテクニック的なのか、感性の部分なのかはその時によるけど。でも、時間は転がっていくから、その時はオッケーと思っても次の瞬間には「あ、また何かできるはず」って思うんだよ。そう思えることが実はオレらのバンドにとっては大事なこと。
-それはどうしてですか。
田村 曲作りでもライブでも、まだ次は何かができるだろうと思っていたいという気持ちは4人とも意識が同じなんだよ。音楽性は違う部分があるかもしれないけど、音楽が好きで、自分が聴いてきた音楽により近づきたいとか、若い頃にあこがれたミュージシャンのようなライブをやりたいとかいう思いがあって、そこに到達するのは多分一生ムリなんだけど、近づいていきたい。4人ともそれは同じで、そんな4人が集まってひとつのバンドになったというのはある意味奇跡だと思ってる。
中山 デビューして以来、メンバーの出入りなしだよな。
田村 この先もこのメンバーは変わらないし、10年先、20年先も、まわりから見たら「まだ同じことやってんのか」と思われるかもしれないけど、オレたちの中では毎回違うし、何かにチャレンジしている気持ちはあるから、オレたちの音楽をやってると思うよ。
中山にささげる曲?それはないなあ
-近頃「チェリー」や「空も飛べるはず」など、スピッツの名曲は小学校や保育園でも歌われています。
田村 そうなんだよ。20代の女の子に向けてとか、意識的にターゲットをつくって曲をつくるっていうのはオレたちにはあり得ない。10代の自分に向けて演奏することもあるし、大前提として自分たちがリスナーでもあるから、まずオレたち自身を納得させられる、でも自己満足にならない音楽っていうのを常に探している感じかな。だから、結果としてオレたちと同い年の女の人と6歳の男の子がそれぞれに、たとえば「チェリー」を自分のための歌にして感じてくれたら、それは幸せなこと。
中山 オレにささげたい曲とかないわけ?
田村 それはないなあ(笑)。あったらとっくにプロレスのテーマそんぐとかで使われてるよ(笑)。でもそういう意味では、試合前に聴く音楽ではないだろうけど、たとえばふと何かを忘れたい瞬間とかに聴いてくれたらと思うよ。
中山 スピッツはキーが高いからオレに合ってんだ。「ろびんそん」なんかオレ、うまいよ!
田村 中学の時かけ持ちで合唱団のテノールもやってたらしいな。
中山 歌といえば、ピッチで「君が代」を歌うのって最高なんだよ。国を背負って闘うって、いいんだよ。
田村 言ってみたいね〜、そういうこと。でもオレ、おまえが出た試合はずっと見てたよ。筑波大の時に日本Bだいひょうに選ばれただろう。92年に広島であったアジアカップで優勝して、スーパーサブとして第1次中山ブームが起きたんだよな。ついに中山の名前が出てきて、なんか誇らしかったんだよ。
中山 オレを追っかけてんなあ(笑)。
田村 オレらの地元はサッカー好きなヤツが多かったし、オレも小学校の高学年でサッカーはあきらめたけど、中山にはオレたちみたいな地元のサッカー好きが思いを託してたんだよ。その頃飲み会とかで「中山と高校の同級生だった」って言うと「すごーい!」って言われたもんな。
-ケガには苦労されてますね。
中山 ケガは自分のプレースタイルの上で、仕方がない。ケガしたらまた別のところを強くすればいいか、と思うようにしてるよ。リハビリしてる時は単調でつらいけど、そこを乗り切らないと次に立てないし。ケガしたらケガしたで、しょうがないんだ。
田村 もうダメかもって思うことはある?
中山 ケガした時に「いつかは復帰できるだろう」と思うじゃん。その「いつか」が一体いつなのかわからない不安でイライラすることはあるよ。ケガするとしっかり休むことが大切なんだけど、身体全体を元に戻すのに、休んだ分の3倍の時間がかかるんだよ。だからなるべくなら動きたい、でも動いちゃいけない、そのジレンマはきついよ。
田村 どれくらいの期間休んだ?
中山 大きなケガをした94年には6,7ヶ月休んだよ。最終的にはドイツに行って手術して、翌年復帰したんだ。
田村 中山の動き見てると、いつかグラウンドでゴールにぶつかって死んでしまうんじゃないかと思うことあるよ。
中山 そうなったら本望だよな。だいたい「ぶつかるかも」とか思ったら思い切って飛び込めない。オレはボールそのものをとらえることができるんだ、っていう気持ちで突っ込んでいくから。
中山ブランドは日本の誇りだね
-38歳になってもプレーしているイメージは20代の頃からありましたか。
中山 プレーしていたいとは思ってた。その頃は、38歳になっても20代の体力のままずっとやれてるイメージだったから、きついなあと思うことはこの頃はある。回復力とか脈の戻りとかが悪くなるね。ただそこは工夫次第。サッカーって走って休んでのインターバルの協議だから、休んでいる時にどうポジションとるか、次の動き出しの時にどう相手を汲ュ動きをとるかってことを考えながらやればなんとかなる。
田村 何歳までやりたい?
中山 自分の子どもがオレの現役の姿を記憶にとどめられる年になるまではやりたいね。今年2歳だから、あと3年はやりたいかな。オレの気持ち的には楽勝(笑)。でも走れてなんぼの世界は意欲だけじゃダメだから、危機感は常に抱えてるよ。オフでも2日ぐらい休んじゃうと、「ああ、走るのやだなあ、でも走っとこう」って。
-中山選手がピッチに登場すると、ものすごい歓声がわきあがります。
中山 見る人がオレに感情移入してるのを感じるね。ありがたいこと。
田村 見せ方とか動き方とか、計算してはいないと思うけど、なんか華がある。中山なら何をやってもギャラリーは許せちゃうんだよ。
中山 そうなのかな。自分でもわかんないけど、なんだか得なんだよな。
田村 オレら観客にとっては、勝ち負け以上に中山っていう選手のプレーに魅せられる、うならせられることが大事なんだよ。もって生まれた「魅せるもの」が中山にはある。プロサッカー選手にとどまらず、「職業=ゴン中山」みたいにおまえの存在がひとつのブランドになっちゃってるんだよなあ。ある意味で日本の誇り。
中山 このプレーで観客をひきつけようだなんて、計算してできるものじゃないんだよ。自分では精いっぱいやってることでしかない、それをみんなが応援してくれるのは本当にありがたい。
田村 おまけに肝心なことは、節目節目でちゃんと仕事してるでしょ。今もJリーグの通算最多得点記録を更新してるし。結果を出しているというのがベースにあるから、中山という存在が宝になって、応援する人ひとりひとりが中山から何かを感じ取るんだ。そういうサッカー選手は希有なんだよな。
-同級生からすてきな言葉をいただきましたね。
中山 なかなか評論家だな。オレの評論家として認定してやるよ(笑)。
田村 おまえが君が代をオクターブ高い声で歌う雄姿がまた見たいよ。
中山 現役でいる限り、そこは目標であり続けたいよね。
田村 2002年ロシア戦の時、途中交代してものすごい雰囲気で中山がピッチに出てきた。絶対に点入れると思ったけど、あの時は惜しかったよな。
中山 むやみやたらに走って、イエローカード取られて終わっちゃった。
田村 でも、そういうのも絵になるということ。同級生に褒め言葉なんか、あんまり言いたくないけどね(笑)。また雄姿を見せてくれよ。
中山 まあ待ってろよ(笑)。
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